<< 小学生は、 | main | 日課 牧歌 >>
掲載4/4

 

宗教って何でしょう?


ボクは 生きる上での学びだと思っているんです。


一言で終わってしまいましたが 、


その教えを効率良く広める為に 


その教えを見える形にして 親近感を持たせる為に


その教えの意識を増幅する為に 


壮大な建物や 壮大な崇拝物が つくられるようになったと思うんです。


仏教で言えば寺や仏像など キリスト教で言えば 教会や十字架などね。


ボクが興味を持ち始めた きっかけは仏像でした。


教えを知らなくても 東寺に行けば 腰が砕けるような感動があると思うんです。


でも 仏像は『教えの意識』を増幅する為のオプションであって、教え そのものじゃないんだよね。


ボクには その『教えの意識』が無いので、崇拝物じゃなくて造形物としての見方をするんです。


そうとなれば『教え』を理解した上で 仏像を見たくなるのは やはり当然の事なのでしょう。


もし教えを理解できたのなら 仏像は造形物じゃ無くなって 崇拝物になってしまうのかな?


ソレも ソレで 少し寂しい気もします。


ピカソの絵を 何の知識も持たずに見る事と、


ピカソの絵を 一般社会的知識を入れた上で見る事とは違うよね。


『先入観』は良くも悪くも『増幅材』になります。


『便利さ』 と『不便利さ』 の良いトコ 悪いトコ って言うのかな?

 

 

 

 

お釈迦様の生い立ちから


2500年前の話ですので 何処までが どうか? 真実は分かりませんけれど、


マヤ夫人の脇の下から生まれたなんて もう その時点で人でなしだし 誕生して すぐに天上天下唯我独尊と言ったとも考え難いし、


こういうのは後々の仏教が お釈迦様の神格化の為に『不思議』を混入したのかな?


釈迦国の王子として生まれたゴータマシッタールタ


16歳で結婚 子供をもうける


29歳で妻子 国を捨てて出家 


35歳で悟りを開き 


80歳の入滅まで布教活動に勤しむ


托鉢で頂いた きのこ か 豚肉を食べて食中毒になり 涅槃寂静


そんなお釈迦様の教えを読んでいますと 


厳しいことは言いますが、けっこう納得するような内容も多いです。


もちろん2500年前の考え方だし 時代も国も違うから 常識や考え方が違ってて当然です。


大きく言えば『頼るべきは自分自身だぞ!』って話かな?

 

ここからが問題なのです。


仏像という 仏教のオプションから入ってしまった私は 今でも考え深いトコがあるんです。


お釈迦様は 崇拝物を作るなと言っているんです。


これに関しては キリスト教も ユダヤ教 イスラム教も一緒なんです。


生きる上での『教え』を多くの人に知ってもらいたいのであって、別に何かを拝むことでは無いと言いたいのでしょうか?


でも 何か?


どの宗教にも ソレっぽいの あるよね・・・・

 

 

 

 

紀元前3世紀頃 お釈迦様が入滅して100年後くらいに根本分裂と言って、簡単に言えば仏教の考えが2つに別れたんです。


1つは上座部仏教


お釈迦様の教えに忠実で 個人の悟りを目指す仏教です。


さっき 言ったような 自分自身を拠り所に生きる教えみたいな感じかな?


自分の意思を良い方向に持って行けば 考え方次第で 楽しくも生きられる。と言いますかね。


もう1つは大乗仏教


万人の救済を目的として 現実に柔軟に対応する 今の日本の仏教の殆どを占めている仏教です。


教えに関して具体的な書き方が・・・・ 


できないな・・・・

 

 

 

 

そして お釈迦様入滅500年後 仏像が作られ始めるんです。


やはり 柔軟に多くの人を取り込むには 崇拝物が必要になるのでしょうかね。


上座部仏教には ほぼ釈迦如来しか登場しないのですが、


大乗仏教には様々な仏が登場します。


如来の種類も多いですし、菩薩 明王 天部など 登場人物が多いです。


そうなれば 当然 大乗仏教の『教え』を知り、


その『教え』に共感を持っていければ 仏像の意味を見い出す事が できるんじゃないかとね。


『ボクは まだ学びが足りません』という事を前提に書かせていただきますと、


何か 確信を突くトコに差し掛かると ぼかしてくるんだよね・・・・


『教え』が『不思議』に ぼかされると言いますか、


お経だって お話なんだから 日本語訳にしてくれても良いのにね。


聖書だって 日本語訳がちゃんとあるのに・・・・


もちろん まだボクの学びが足りないので 分からないだけの事なのでしょうけどね。

 

 

 

 

ここ100年間の世界の変わり様 技術の進歩 物理的な物の考えなど 急激な思考の変化を考えれば、


今までの宗教の信仰や生死観など 21世紀には そぐえない話も 多くなってきてるんじゃないかな?


お釈迦様の教えの上座部仏教から 柔軟に万人の救済を求めた大乗仏教


キリスト教ではカトリックから プロテスタン


何か似てるんだよね・・・・


これからの時代は『不思議』や『信仰心』では無く、


今度は また上座部仏教みたいな『学び』の時代に入って行くんじゃないかな?

 

 

 

 

そもそも何で お寺に行くのかと言いますと、


やはり お寺の伽藍や仏像を見るのが ただ単純に好きなんですよね。


宗教美術って言う言い方には 語弊があるでしょうが、


宗教美術は 何であれ 凄いと思ってしまうんです。


信仰心と造形とが ミックスされてるからかな?


ボクのつくる物には 何の信仰心もございません。


対象が信仰じゃないから 造形の規制がないので自由なのですけれど、


ソレが仇になる事も多いです。


ただ単純に 無い物ねだりですけどね。


良かれ 悪かれ 自分に無いものに対しての物の見方は 感慨無量です。

 

 

 

 

こういう形で雑誌に出るのは 今回で最後になるかもしれないので 最後に

 

 

『人生の財産って何だろう?』って童貞が考えそうな事を たまに考えたりするんだけど、


記憶なのかな? それとも出来事なのかな?


ボクは頭が良くないから記憶って言われると少し困るんだけど、過去が事実で 今は現実 未来の事は誰も知らないんだよね。


過去は受動型で 未来は不確かなものなので能動型で


15年前に描いてた人生設計とは違う人生を歩んでるんだろうけど、きっと諸法なんてものは自分で描けるワケが無かったんだと思うんです。


成るように生きて 成るように物をつくり 成るように老いて 成らなくなったらバイバイってね。


そのくらいシンプルに考えられたら良いのにね。


落つれば同じ谷川の水だってさ・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【2018.05.29 Tuesday 10:02】 author : motohiro takahashi | media |- |
CALENDAR
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>
NEW ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE